キュラソー (Country of Curaçao)
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キュラソー (Curaçao) という地名の由来については、先住民たちが自分たちを指す言葉であったという説がある. 初期のスペイン語文献が先住民を Indios Curaçaos と記していることは、この説を支持するものとなっている.
1525年以後、スペインの地図ではこの島が Curaçote や Curasaote、Curasaore あるいは Curacaute といった名称で記載される. 1562年にヒエロニムス・コックがアントウェルペンで発行した地図には、Qúracao とある. 17世紀までに、ほとんどの地図には Curaçao または Curazao として載せられるようになる.
文書では確認できないが、長く言い伝えられてきた語源説として以下のようなものがある. 16世紀から17世紀にかけて、ヨーロッパ人の航海者たちはビタミンCの欠乏から壊血病になることが多かった. かれらがこの島に上陸すると(おそらくビタミンCを含む果実を食した結果)病気が治癒する者があったため、「治癒の島」(Island of Healing) という意味でポルトガル人は Ilha da Curação 、スペイン人は Isla de la Curación と呼んだという. 別の説明によれば、この島が貿易の中心であったことから「心臓」や「中心」 (heart) を意味するポルトガル語 coração に由来する名で呼ばれたという.